兵庫県立神戸高等学校同窓会

インタビューのコーナー

みなさん、こんにちは!
大好評のインタビューコーナー第18回は、「青いバラ」の研究者としてあまりに有名な、サントリーグローバルイノベーションセンター株式会社 上席研究員の、田中良和さん(29回生)です!
今でも私のhometownは「神戸」です
―このたびは、お忙しいなかインタビューをお引き受けいただきありがとうございます!

 頼まれると断れない気の弱い性格なので(笑)、基本的に取材などはお受けしています。
 神戸に住んだ期間は人生の半分以下になってしまいましたが、やはりhometownは神戸ですね。
 いまでも時々六甲山に登ったり、元町で豚まんを買ったりします。
 老人ホームに入るなら神戸がよいなと思います。地震でだいぶ変わってしまいましたが。
いくつもの研究グループに先駆けて、サントリーのチームが「青いバラ」を実現
河島洋さん(右)、西谷(旧姓廣瀬)恵子さん(左)と共に。
ー早速ですが、まずは田中さんがサントリーに入社された理由やきっかけを教えていただけますか。

 小学校の時から動物の図鑑などを見るのが好きで、大学では生物学を専攻しようと決めていました。
 生物学といってもいろいろな分野(生態学、動物行動学から遺伝まで)があるのですが、どの分野を専攻したいという意志もなく、インターネットがなかった時代ですからどの大学でどんな研究をしているかは高校生には分からないので、大学の選択も通学可能で現役で入れるという基準で選んでしまいました。

 当時は理学部生物学科に行くと、大学に残るか教員になるかが主な進路でした。教員の資格は、教育実習を神戸高校でお世話になって、取得しました。

修士課程修了時はたまたまバイオブームで民間からの求人がありましたし、博士課程に行くほどの余裕もなかったので、教授の「サントリーが新しい分野をやる研究所を作るらしいから、行くか?」に従って、サントリーに入社、というような主体性のない選択でしたね。

当時は「就活」という言葉すらなく、研究室への求人を教授が割り振るようなかんじでしたから、他社はどこも受けていません。


今とはだいぶ違っていたのですね。

そうですね。今では考えられないことですね(笑)。

入社後は研究所配属になり、最初は酵母で有用蛋白質を生産するような仕事をしていました。
ここで分子生物学的なスキルを習得しました。
ただ、数年経って、「このままやっていてもな」「変化が必要かな」と。その頃「青いバラ」を作るというプロジェクトができたので、社命で共同研究先のオーストラリア メルボルンへ。

ー「青いバラ」を作るためにオーストラリアへ。

おおざっぱに言いますと、バラを含むバラ科の植物には青い色素を作る遺伝子がないので、交配(古典的な品種改良)では青いバラを作ることができませんでした。

ところが、1980年代に可能になった植物の遺伝子組換えを利用すると、青い色素を作る植物からその遺伝子を取って、バラに入れるということができます。
同じやり方で青いバラを作ろうとした研究グループが世界でいくつもありました。
幸いサントリーのチームが先行したのでよかったです。

詳細は会社のHPをご覧ください(https://www.suntory.co.jp/sic/research/s_bluerose/)。

ーこのお写真が、「青いバラ」ですね!

はい。中央が私です。
右が河島洋さん(35回生)、西谷(旧姓 廣瀬)恵子さん(44回生)です。
お二人ともお客様の健康に貢献するための研究開発に従事されています。
 
今回のインタビューに際し、西谷さんから若者へのメッセージを預かっています。

青いバラ「アプローズ」の花言葉は 「夢 かなう」です。偉大な先輩たちに続いて、夢をかなえましょう!

ー「夢 かなう」。素敵な花言葉ですね!西谷さん、ありがとうございます!
 
「やってみなはれ」という社風が事業の多角化の基礎となりました
―「飲料」メーカーである御社が開発された健康食品等の広告を目にする機会がとても多くなりました。サプリメントや健康食品は体の中にとり入れるものですから気を遣いたいところですが、飲料メーカーである御社の製品ですと大きな安心感がありますね。
ところでホームページを拝見しましたら、「花苗」「花鉢」「野菜苗」「切花」「野菜」のページもありました。
私の勉強不足で大変お恥ずかしいのですが・・・。飲料メーカーがお花や野菜も作っているのは、意外でした。


ワインの原料であるブドウや、ビール・ウィスキーの原料である大麦の品種改良に長年取り組んできました。
1980年代にサントリーの事業の多角化が検討されたときに、この技術を花に展開して、花事業に取り組むことにしました。
利用されていなかった野生種を利用することなどにより、丈夫でたくさん咲く商品を開発できました。

1990年に大阪鶴見緑地で「花博」が開催されるなど時代にも合ったためか、1990年代に花事業は順調に成長し、2002年には「サントリーフラワーズ」という会社になりました。

野菜はサントリーフラワーズの若手社員の発案で始まったもので、シニアが家庭菜園をするニーズにあったようで、順調に成長してきました。本気野菜というブランドが浸透してきたので、野菜(主にトマト)販売も東京を中心に始めました。

ー若手社員の発案が採用されるとは!御社はどんどん新しいことに取り組まれているのですね。

新しいことを始めるのは、「やってみなはれ」という社風があるからだと思います。
切花は、青いバラやカーネーションだけですが、他社にはできない夢のある商品を販売しています。
高校時代は目立たない生徒でした
ESSの仲間たちと
―田中さんは神戸高校時代はどんな神高生でいらっしゃいましたか。

 クラスでは全く目立たたなかったので私のことを記憶している人は少ないと思います。
 いまさらですが、学校は人間関係を学ぶ場でもあるので、友達を作っておけばよかったとは思いますが、基本的に生き物には興味がありますが、人間には興味がないので..仕方がないですね(笑)。

 クラブはESS。同期生は英語も勉強も良くできる人ばかりでしたが、私は英語はうまくなりませんでした。

 理学部に行きたいので2年から理数系で学びました。理系の入試は数IIIまでと理科2科目(当時のI,II)が課せられ、ほとんどの生徒が物理と化学を選択。生物を選択する生徒は少ないので生物IIは選べませんでしたので、大の苦手であった数学と物理に苦労する羽目になりました。

 長時間まじめに勉強したと思いますが、入試の成績から判断すると、あまり成果はなかったということになります。
 特に数学は勉強したらできるというものでもないのでしょうね。現役の神高生のみなさんに言ってはいけないかもしれませんが(笑)。

 当時は合唱大会やら江井の合宿、摩耶山から六甲牧場へのマラソンとか、行事が多いなと思いました。
 今もでしょうが、当時から神戸高校は合唱が盛んで、入学式の校歌斉唱がみんな大きな声なので驚いたこと、3年のクラス対抗の合唱大会では女子が少ないこともありみんなまじめに練習せずできが悪くて担任のM先生から叱られたことも、今も鮮明に覚えています。

―ご卒業後、「神戸高校OBで良かった!」と思われるような機会はありましたか。

 あちこちで同窓生にお目にかかれます。
 阪神ファンの某教授に阪神タイガースの坂井(前)オーナーを紹介していただいたところ、同窓ということがわかりました。
何名かの同窓の方を紹介いただきましたし、甲子園の貴賓席にも招待してくださいました。
毎年、今年こそはと思っていますが、交流戦で沈んでしまいましたね。

 サントリーは関西の会社なので、OB・OGがウィスキー、ビール、ワイン、スピリッツ、健康食品、ビジネスなどいろいろな部署におります。
数年前に同窓会を開きました。バイオの分野では京都大学N教授(生命科学研究科)、S教授(農学研究科)がそうですね。そういえば中学校の恩師もOBでした。
 
誰が見ても「青い」レベルのバラをしつこく研究中です
―「バラを青くする」ことに成功された田中さん。
 次は何を「青く」されてみたいですか。


 今販売しているバラ(商品名アプローズ)はバラの中では青いのですが、まだ青さが足りないので、誰が見ても「青い」と言うレベルのものを現在しつこく研究中です。

時間がかかりすぎで、反省点ばかりですが。「日暮れて道遠し」。

カーネーションは商品化され、キク、ユリも色が青く変化したものはすでに得られていますが、商品化となるとハードルが高いです。SDGs(持続可能な開発目標)に貢献できるような研究開発で成果を出せればと思います。
ひるまず、手を抜かず、真摯に取り組むことが重要だと思います
―研究者としてあまりに有名な田中さんから、神戸高校の後輩たちにメッセージをいただけますか。

 研究者といっても、大学の研究者と企業の研究者でかなり違うと思います。
 大学では自分が面白いと感じる課題や真理の追究をおこなえばよいのですが、企業の場合には最終的には商品や技術が世の中の役に立ち、利益も出ないといけません。

「実験」という日々の作業に差はないでしょうが、マインドは違わざる得ない。
面白そうでも成果につながらなさそうなことはやらないことも多いです。
研究結果を世の中に出すためには、研究以外に、いろいろな大変なこと、うんざりすることも多いですが、優等生的に言えば、「難しそうなことでもひるまず手を抜かず真摯に取り組む」ことが重要と思います。

頑張っていれば周囲も助けてくれるはずですしね。

サントリーでは「やってみなはれ」とよく言われます。
若いうちにしかできないことがいっぱいあるので、何でもやってみましょう。
年齢を経ると五感はどうしても鈍りますし、心の感性も低下しますから。

 たとえば、日本の若者は外国に行かないと言われますが、実際に行ってみないと分からないことも多いし、現地の雰囲気を感じることは重要と思います。たとえば、イランは何となく怖いイメージがありますが、行ってみるとよい国です。野生のバラやチューリップもあるし、ペルシャの長い歴史があります。

仕事の関係で、ブラジル、コロンビア、エクアドル、ニカラグアとかも行きました。どこにも良い人もいるし悪い人もいるし、どこの国の人間もさほど変わらないと、最近思います。

ー貴重なお話をありがとうございました!今後の益々のご活躍をお祈りしています!
≪田中良和氏 プロフィール≫

1959年生まれ
本庄小学→本庄中学→神戸高校→大阪大学→同大学院前期過程
1983年 サントリー株式会社入社
現在、サントリーグローバルイノベーションセンター株式会社研究部上席研究員